『この色が好きだった』という記憶

今週のお題
 大人になると、子供のころには食べられなかったピーマンやナスが平気で食べられることがあります。歳をとると味覚が鈍ってくるかだそうで『そうやっていろんなものを受け入れられるようになってくるなら、歳を取るのも悪くないかも』と、思わせてくれます。

 だから最近は『この色が好き』と、一つの色に固執しなくなっています。赤なら真っ赤が素敵だけど、だからと言って真っ赤な口紅や真っ赤な洋服を着るほど好きではありません。せっかくなら自分に似合う色を身にまといたいから。

 そういう自分との駆け引きなしで『この色が好き』と主張できたのは、小学生ぐらいまでです。そういえば幼稚園の卒園記念の写真には『すきないろ』を書く欄があった気がします。一緒に『将来になりたいもの』とか、『すきなたべもの』もありました。
 そういうものを一つだけ選び出すことに、あまり疑問を持っていなかったのでしょうね。幼い者の特権で、そういうことを大人から許してもらえたのです。

 幼稚園の頃の好きな色は『大人に言われたから、答えただけ』で、深くは考えていなかった気がします。だって何色が好きだったか覚えていませんから。

 でも小学校の時ははっきりしています。それは『うすみどり』です。

 それまではずっと12色クレヨンを使っていたのですが、特別に24色クレヨンを買ってもらった時があったのです。その中に入っていた色の一つが『うすみどり』色でした。
 色鉛筆やクレヨンの色は塗り重ねても、色が濃くなるだけで綺麗には混ざりません。だから明度の高いものほど、ぬり絵の最初に塗るのです。だから『うすみどり』を一番最初に塗ることが多かったのです。
 真っ白な紙に塗られたうすみどり色の美しいこと。白い画用紙にピンク色や水色を塗った時とは明らかに違う感動がそこにはあったのです。

 成長してから初めて出会ったものに、衝撃を受けることがあります。自分の中に蓄積された知識や経験が生かされて初めて味わう感動というものがあるのでしょう。
 たぶんそういうものを、このうすみどり色のクレヨンからもらったのです。それからは、この色は私にとってお気に入りの色となったのです。

 でもそういう蜜月期間も数年足らずでした。だって大きくなったら絵具を使うから。絵具だと綺麗に色が混ざるから、好きな色を自分で作り出せます。どんなに薄い色だって、自分で思いのまま。クレヨンのうすみどり色よりも、もっと薄い色だって作れます。
 自分で作って、自分でうっとり。もうナルシストの極致です。

 そうやって自分の世界を広げていった結果が、今はここに座ってパソコンをカチカチと打っているわけです。自分では広がったつもりでも、ここで小学校の話なんか持ち出すところを見ると、思ったほど世界は広くなかったようです。

 『この色が好き』と断言するほどの情熱はすでにないけど、『この色が好きだった』という記憶があるというのはありがたいことです。