美濃太田駅の松茸釜飯

今週のお題「お弁当の思い出」といえば、何年間も作ってもらった母のお弁当を挙げるべきなんでしょう。ところがあまり印象に残っていないんですよね。

 母の作るお弁当が『け』のお弁当なら、私にとって田舎に帰る時に食べるお弁当が『はれ』のお弁当でした。しかもなぜか食べるお弁当は決まって国鉄時代から高山線美濃太田駅の『松茸釜飯』でした。

 関西から高山方面に向かう場合、今でこそ便利になって新幹線も特急もあって1日に何本も走っています。ところが昔は急行しかなかったのでしょう。だからいつも乗るのは『高山号』という急行でした。 この列車は朝の8時ごろに大阪駅を出発して、2時過ぎに飛騨高山駅に着いたと思います。するとですね、ちょうど電車の中で昼食を済ませないといけない時間になるのです。そうすると昼過ぎぐらいにちょうど美濃太田駅にさしかかって、ちょうどいい具合にプラットホームで駅弁を持ったおじさんが立ち売りしているのです。

 このおじさんを呼び止めてお弁当を買うのがいつもの習慣で、駅に着く前からプラットホーム側の窓を開けてお金を握り締めて構えて待つのです。そして電車が止めるとすぐに、おじさんに大声で『お弁当、ちょうだい〜』と叫ぶのです。とにかく一番乗りで叫ばないと、停車時間が短くてお弁当が買えなくなるから必死です。

 おじさんがやってくると、私達に便乗してお弁当を買おうという人が現れてくるので、私達の座っている席はちょっとした人だかり。これも計算済みで、買い終わったらさっさと他の人に場所を譲ります。電車がプラットホームを出発したら、やっと落ち着いてお弁当にありつけるのです。

 この松茸釜飯はなかなかファンが多いらしく、一時期は岐阜駅辺りで『松茸釜飯の予約を承っております』のアナウンスが流れたこともあります。たぶんあんなに短い停車時間では買いそびれる人が出るからでしょう。

 そんなに盛況だった『高山号』ですが、新幹線と特急という組み合わせに負けてしまい廃止されてしまいました。だって急行だと5時間ほどかかるのに、新幹線と特急だと3時間半しかかからないのです。何度か新幹線と特急に乗ったことはありますが、やはり美濃太田駅の松茸釜飯が車内で売られており嬉しかったものです。

 そうそう、結婚式当日にもこの松茸釜飯を食べました。田舎から結婚式に出席するため、親戚が電車で来るというので買って来てくれるように頼んだのです。おかげさまで結婚式後のホテルのお部屋にはお祝いのシャンパンや軽食と共に松茸釜飯がでんと並べられており、『そんなに美味しいの?』と旦那様に言われたものです。

 うーん、美味しいだけを追求すると、きっともっと美味しい駅弁は世の中にいっぱいあると思いますよ。でもね、国鉄時代から私の旅の思い出と共に歩んできたお弁当はこれなの。松茸釜飯なのに彩のためだけに真っ赤な缶詰のチェリーなんて、感覚が昭和でしょ。今は小さなプラスチック容器に入っている奈良漬は、昔は釜飯の蓋の上にじかに載っていたのよと、それだけで思い出がいっぱい出てくるのです。
 そんなお弁当は他にはありません。だからいいんですよ。