今週のお題「一番古い記憶」というと、なぜか私には1歳のお誕生日前の記憶があるのです。
場所は動物園。なぜ動物園とわかるのか?
それは大きな檻の前にいるからです。
側面がカーブした檻の中には、大きな鳥がいるのです。
しかも私は父親に抱っこされいます。
実は父親に抱っこされるのは嫌なんだけれど、
母親がいないから仕方ないから抱っこされているという状況。
父親にしたって、母親がいなくて今にも泣きそうな私を抱っこするのは嫌なのです。
でも抱っこしないと、勝手に歩いていきそうだし、
「ママ」と叫んで、泣き出すだろうから
困ったもんだと思いながら、仕方なく抱っこしているのです。
抱っこするほうもされるほうも、お互いに妥協している状態。
しばらく経って母親が帰って来たところで、記憶は途絶えています。
この話を小学生になった頃の私が母親にしたところ、
『そういえば、そんなことがあった』と記憶が裏づけされたのです。
生後11ヶ月の私は父親が大嫌いだったそうです。
少し前に私はハイハイしている最中にタンスの角に頭をぶつけて、
おでこを2〜3針縫うことになったのです。
その時に私をぎゅっと押さえて動かないように
お医者さんの手助けしたのが父親です。
それからしばらくは父親に懐かなくて、抱っこしても大泣き状態。
私は可哀想だけど、父親もいい迷惑だったででしょう。
懐かないのに、なぜか家族で動物園に行こうと決めたようです。
その頃の私のおでこには白いガーゼがあったという記憶もあるので
父親が嫌いな状態で、お出かけすることになったようです。
頭は痛いし、嫌いな人に抱っこされているし、見たことのない大きな生き物がいるのですから。
極め付けが、そんな状態なのに『大好きなママがいない』
そんな非日常のオンパレードだから、記憶に残ったのです。
なお、母親不在の理由はお手洗いでした。
動物園のお手洗いまで遠かったらしく、後で私たちに謝ってくれました。
昨夜の晩御飯は覚えていなくても、なぜか今でも檻の様子が思い浮かぶ私。
おでかけには真夏以外には、着物を着ていた母親。
父親もおでかけとなると、休日でもネクタイをしていました。
こういう記憶の積み重ねで私という人間が形成されているのですね。
そしてこの一番古い記憶とともに、これからも生きていくのです。