1ドルが360円だった時代に、世界一周のお土産でもらったのがパイナップル

今週のお題「パイナップル」

円安と言われている日本ですが、一時期は1ドルが360円って時代があったのです

しかも外貨持ち出し制限ってものがあって、500ドルまででした

日本の円を持って行っても、ちっとも強くないから、海外では両替はできません

しかもクレジットカードはないので、500ドルで ホテル代や食事代を払って、旅行の費用をやりくりしていたわけです

 

そんな時代に私の父が会社の費用でヨーロッパとアメリカへ研修旅行に行ったのです

日本を出発して、ヨーロッパへ、そして大西洋を超えてアメリカへ、東海岸から西海岸を経て、日本へ戻ってくるというコースでした

当時の飛行機は、ヨーロッパまでの直行便はありません

途中で給油するために北回りならアラスカのアンカレッジ経由や、南回りならインドで経由していました

アメリカ、日本間なら途中のハワイで給油と聞きました

やたらと待ち時間があったわけです

だから待ち時間が発生する空港は、いろんな施設が充実しています

私もアンカレッジの空港で燃料給油の時代に行った事がありますが、免税店の広さと品数の充実ぶりに驚かされました

 

父は持ち出せるお金が少ないし、会社の人や親戚にお土産は買わなきゃいけないし、大変だったのでしょう

お土産はいっぱいありましたが、家族へのお土産はハワイで買ったパイナップルでした

 

きっとパイナップルを買って帰る旅行者が多かったのでしょう

パイナップルの柄が印刷された紙の専用箱に入っており、それが空港の店に山と並んで売られていたそうです

 

それからが大変

まず母が困ってしまいました

だってパイナップルを食べた事がありません

その日は食べることなく、片付けられました

 

次の日にパイナップルをぶっ切りにしたものが、出てきました

しかも皮付きです

 

持つと痛いです

 

母は仕方なく皮だけ包丁で落としました

 

食べ始めると、まず芯が口の中に入ります

硬いです

噛んでも噛んでも、繊維が残って食べられる気がしません

そこを乗り越えると美味しい果肉が待ってます

でも最後は果肉に残ったトゲが口に入ってきます

 

なんか間違っていることはわかるのですが、どうすれば良いのか誰もわからない

 

こうやってパイナップルは苦労の末、食べてしまいました

 

正しいパイナップルの食べ方がわかったのは、後日、親戚の伯父にお土産を持って行った時でした

物知りの伯父はチキンと食べ方を知っていたのです

 

その後、パイナップルはトラウマになる事なく、大好きなので、安心してください

正直言って、パイナップルの芯とトゲ付きの皮近くなら、芯の方を選びます

トゲは危なすぎます

苦手は無くすのか、克服するのか

今週のお題「苦手だったもの」

大人になってから、ピーマンが苦手になった事がありました

実家にいる頃の話です

一年前は普通に食べていたのに、夏になって食卓にピーマンが出てきた途端に苦手になったのです

それからはピーマンがまずくて、まずくてたまらない

ピーマンの苦味が口の中に広がると、他の食材全てを押し除けて、苦味だけが残って、とにかくまずく感じていました

私がピーマンを食べないものだから、母も諦めてピーマンを食卓にのせなくなりました

 

そしてまた一年

夏になってピーマンが食卓にのると、あーら不思議

おいしく食べられるじゃないですか

 

今にして思えば、あれはなんだったんでしょうね

勝手に苦手になっといて、勝手に苦手じゃなくなってるって

味覚が狂っていたんでしょうか?今でも謎です

 

今年のいちじく

 庭のいちじくの実が、出来始めました

 今までは7月ぐらいから生り始め、今の時期だと小さいながらも甘くて、熟した実がとれたものです

 ところが今年とれる実は、皮の色がまだ薄いのに、実が柔らかくて、甘みも足りません

 どうも猛暑が原因のようですね

 

  

 仕方ないので、全部皮を剥いてしまい、食べられそうな部分だけを冷凍しています

 写真では17個のいちじくがありますが、皮を剥いて、4個分は捨てました

 理由は熟し足りなくて固かったり、反対に熟しすぎて変色していたりと、さまざまです

 今日の分だけで、冷凍して600g 

 もう少し貯めて、ジャムやアイスにするか、朝食のヨーグルトに混ぜるか、お楽しみが待ってます

 先日は熟してないけど加熱したら食べられそうな実があったので、料理に混ぜてみました

 砂糖がわりにしてみたら、プチプチした食感がアクセントなって、面白おいしく出来上がりました

 そういうお楽しみも待ってます

久しぶりにコップを割る

今週のお題「最近壊した・壊れたもの」

毎日最低でも一個のコップは洗ってます

アライグマにポップコーンを与えると洗うがごとく、使ったコップは洗います

水やお茶を飲めばもちろん、洗います

旅行先なら、うがいのコップや部屋に備え付けられたコップ、湯呑みを洗います

 

仕事でコップを洗っていた事もあるから、人生において10万個以上は洗ってきたはず

 

今回割れたコップは台所の作業台から、床に真っ逆さまに落ちたのです

あー、やっちまった

でも、ここで考えたのです

 

「久しぶりじゃない?」

 

そうです

ここ何年かコップを割った覚えがないのです

8年間で2個目のハズ

 

自宅で洗ったコップだけでも、8年間に6000個は洗ってます

それなのに割ったのは2個だけ

中々の好成績ではありませんか

 

こうやって自己肯定感を高めて、「割ったコップの後釜はどうしよう」とかいう現実から逃げるわけですね

 

桃の思い出

 子供の頃から桃は好きだったし、食べていたはずなのに、あまり記憶にないのはどうしてでしょう

 私の子供の頃は、今よりも果物をよく食べていました

 当時は市販の甘いお菓子の種類がなかったから、母から「それぐらいなら果物を食べておきなさい」と、言われていました

 家族3人なのに、スイカは丸ごと一個買うのが当たり前、冬にはみかんを一箱単位で買っていました

 それでも食べきっていましたから、果物が好きだったんでしょうね

 

 だから桃だって、食べていたはずですが、記憶にないのです

 とても好きな白いパジャマを着ている時に桃の汁を飛ばして、パジャマに茶色の染みがついて台無しにしたことがありますが、それは大人になってからです

   

 子供の頃の桃は生の桃よりも、桃缶の方が良く食べていました

 桃缶、みかん缶なんて、滅多と買わなくなりましたが、私の子供の頃は結構どこの家でも常備していたようです

 コンビニはないし、スーパーだって午後5時に閉まるので、缶詰は必需品でした

 

 先日スターバックスでピーチフラペチーノを飲みましたが、子供の頃に食べた桃缶をおもいだしました

 さあ、桃がお店に並んでるうちに生も食べでおかなくては、今シーズンが終わってしまいます

急げ、急げ、

 

 

アイスクリームは自分で作れるけど、作ってない

今週のお題「ベストアイス2023」

昔々、お菓子の作り方の本を持っていて、そこにアイスクリームの作り方が載っていました

今でこそ、料理本は親切丁寧で、素人でも作れるようになっています

でも昔の本って、写真がついてない、イラストもない、文章だけの料理本も珍しくありません

でも私が買ってもらった本は、写真がたくさんあったのです

特にアイスクリームの作り方なんて、一つの文章につき、一つの写真が載っているぐらい丁寧だったのです

 

材料を混ぜて、冷凍庫で凍らせたら、出来上がり

それだけではない!

本には材料を混ぜてダマができないようにするコツ、どういう容器で凍らせて、どれぐらいのタイミングで固まってきたアイスをかき混ぜるのか、何回かき混ぜるのか

出来上がりはどんな状態なのか

とにかく、ど素人でも出来上がるように、丁寧に書いてあったのです

 

初めて作った時はガチガチに凍って大失敗でしたが、2回目は空気を含んだ柔らかいアイスになって大成功

美味しい自家製バニラアイスが出来ました

 

今は便利な道具が色々とあるので、簡単に出来そうです

ファスナー付き保存袋を使えば、凍ったアイスのもみほぐしも簡単でしょうから

自由研究って、お金と時間をかけても、報われないっていうことを学ぶ為にあるんだと思うよ

今週のお題「自由研究」です

一個だけ覚えているのが、当時飼っていたセキセイインコの生態についてまとめたものを作ったことがありました

ノート2枚ぐらいのぺらっぺらっな奴を書いて、終了

母に「これはひどい」と、言われて、仕方ない1ページぐらい書き足したような気が

「夏になったから、なんかテーマを決めてやってみよう」って、無理があります

そんな突然にアイデアは湧かないし、毎年必ず出てくるものではありません

 

子供の時の苦い経験があるから、我が子の自由研究は私がアイデアを出して、私が金と手を出してきました

一度は草木染めをしましたね

布のあちこちを糸でくくり、そのまま紅茶やその辺で取ってきた植物を煮立てた鍋でぐつぐつ煮て色止めして、終了

そうすると、絞り柄の入った布が出来上がり

それを何種類が作って、レポートは本人が書きます

数年後に、変色した布が押し入れの隅から見つかって、ゴミ箱行きになったなあ

 

ある年は貯金箱を作った覚えがあります

これも最終的に、ゴミ箱行きだった

 

世の中には大人を唸らせる素晴らしい自由研究もあります

でも凡人の私や我が子にとっての自由研究は、ただのゴミ製造にしかならなかったというお話しです